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つぶやき
No.9
吉さんが退行して残り二人がオロオロする話
※本誌321話ネタ 便モ三SS 吉さん精神退行
不幸中の幸いとしては、吉田が比較的大人しめの子供だったことだろうか。「数時間で元に戻るとのことです、ではお気をつけて」と敬礼する吸対隊員の前で、吉田を両側から挟んだ形の三木とクラージィは「ハイ」と悲壮な顔で応じた。挟まれた吉田は隊員の敬礼がかっこいいと思ったのか、眼鏡の奥の純粋な瞳を輝かせて覚束ない真似ごとをしている。体は大人、頭脳は子供、ばっちゃんの名にかけてもトンチキ甚だしい精神退行催眠の犠牲者であった。仕事帰りの三木と買い物に出てきたクラージィが何らかの因果律により通りがからなかったら、まだ肌寒い春の夜の公園で四十路の髭面サラリーマンが砂に穴掘って遊んでいたかもしれない。
すっかり5歳児に退行している吉田がこれで「おうち(実家)かえる!」とでも言い出したら詰んだところであったが、大人だった頃の記憶は朧げに残っているらしく、えーっとおうち帰りましょうね?と便利モブマンションの方へ歩き出した二人ににこにこしながら素直についてきた。あまつさえ両側の二人の手をぎゅっと繋いできたので、三木は固まり、クラージィはその真っ直ぐな親愛の表れに感嘆の念を覚えつつも、子拐いにでもなった気がして十数回は神に祈った。
ようようマンションに帰ってきた頃には、夕食の時間をとうに過ぎていた。ただいまー!という元気な挨拶から流れるように猫吸いをキメに行く吉田はいつもの5割増しにテンションが高い。猫たちは飼い主の様子がおかしいことにいち早く気付いたのか全員高いところに避難し、吉田は「なんで…?」と絶望顔になる。その目にみるみるうちに涙の粒が溜まっていく。
「あーっと、吉田さん何食べたいですか?」
三木が横から割って入る。空腹を思い出したのか、吉田の目から涙が引っ込んで期待の色が覗いた。
「なんでもいいの?」
「ええ、なんでも好きなものでいいですよ」
クラージィは少し不安になった。いいのかミキサン、もしヨシダサンのリクエストが作れる材料がなければ、どちらかが買いに行かなければならない。恐らくどちらが残っても一人ではこの状況に耐えられないのではないか?三木も途中で気付いたらしく、しまった、というような顔をしたが遅い。吉田が満面の笑みで「オムライス!」と叫ぶ。
三木は密室パニック映画の脱出ゲートのように冷蔵庫のドアを開けた。玉ねぎ、にんじん、鶏肉、ケチャップ、卵、冷凍ご飯。──オールクリア。二人で胸を撫で下ろす。
「じゃあ作ってる間、ゲームでもして待っててくださいね」
「うん」
まだ猫が気になるのかちらちらと高所の三匹に目をやりながらも、吉田はゲーム機を起動させてテレビの前に座り込んだ。クラージィは食器を出そうと台所に移動し、三木と目が合った。「調子狂いますね」呟く顔に、いつもの仕事上がりとは種類の違う疲労が滲んでいる。
クラージィは気付いていたが、退行した吉田が発言する度、三木の反応には若干の間がある。古い携帯型ゲームをやらせてもらったとき、画面が切り替わる度少々の間があった。吉田が「さすがにこの頃のゲームはヨミコミが遅いよね」と言っていたあれに似ている。
三木は手早く冷蔵庫から材料を取り出し、最後にビールを3缶取り出してテーブルに並べようとした。クラージィはぎょっとした。
「ミキサン!子供ニビールダメデス!」
「え?いや、体は大人だし…」言いかけてハッとして眉間にシワを寄せる。「ダメか、ダメだなうん、すみません」
「ミキサン、動揺シテマスネ…」
言われた三木は、ふ、と首を振ってクラージィの手元を指さした。
「クラさん、それでどうやってオムライス食べるんです?」
クラージィは視線を下ろした。三人分のスプーンを出したと思った手は、フォークとバターナイフとピザカッターを握っていた。
二人は顔を見合わせ、普段の吉田お得意の引きつった「んふ…」という笑いを漏らした。様々な感情の綯交ぜになった吐息であった。そう、我々は恥ずかしいくらい動揺している。吉田がちょっとオギャっただけで。
思うに、我々は普段ヨシダサンに甘えすぎているのではなかろうか?とクラージィは反省した。人生経験上での最年長である吉田に、友情や食事や居場所だけではない、精神的支柱を求めているのではないか?だからそれが崩れている今、こんなにも寄る辺なき子羊のように右往左往しているのでは?
意外であったことは、三木もどうやらそうらしいということだ。自立した大人で何でも一人でできると思われている三木は、だからこそ、吉田に出会うまで、頼れる相手がいなかったのかもしれない。そうクラージィは推測する。
目を閉じて祈る。神よ、我らは愚かで傲慢でした。これが試練であるならば、十分その意義を理解しました。なので……その……ちょっと早めに戻していただけると嬉しいのですが……
ちらと横目に吉田を見る。吉田は横スクロールのアクションに飽きたらしく、謎解き主体のオープンワールドアドベンチャーを初めから起動して一番最初のデータに上書きをしている。
ああ、それは大人のヨシダサンが先日全クリしてやりこみ要素もコンプした記録……
クラージィは再び瞑目した。背後で三木がフライパンだかボウルだかをひっくり返す派手な音が響いた。
吸死文
2023.5.28
No.9
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不幸中の幸いとしては、吉田が比較的大人しめの子供だったことだろうか。「数時間で元に戻るとのことです、ではお気をつけて」と敬礼する吸対隊員の前で、吉田を両側から挟んだ形の三木とクラージィは「ハイ」と悲壮な顔で応じた。挟まれた吉田は隊員の敬礼がかっこいいと思ったのか、眼鏡の奥の純粋な瞳を輝かせて覚束ない真似ごとをしている。体は大人、頭脳は子供、ばっちゃんの名にかけてもトンチキ甚だしい精神退行催眠の犠牲者であった。仕事帰りの三木と買い物に出てきたクラージィが何らかの因果律により通りがからなかったら、まだ肌寒い春の夜の公園で四十路の髭面サラリーマンが砂に穴掘って遊んでいたかもしれない。
すっかり5歳児に退行している吉田がこれで「おうち(実家)かえる!」とでも言い出したら詰んだところであったが、大人だった頃の記憶は朧げに残っているらしく、えーっとおうち帰りましょうね?と便利モブマンションの方へ歩き出した二人ににこにこしながら素直についてきた。あまつさえ両側の二人の手をぎゅっと繋いできたので、三木は固まり、クラージィはその真っ直ぐな親愛の表れに感嘆の念を覚えつつも、子拐いにでもなった気がして十数回は神に祈った。
ようようマンションに帰ってきた頃には、夕食の時間をとうに過ぎていた。ただいまー!という元気な挨拶から流れるように猫吸いをキメに行く吉田はいつもの5割増しにテンションが高い。猫たちは飼い主の様子がおかしいことにいち早く気付いたのか全員高いところに避難し、吉田は「なんで…?」と絶望顔になる。その目にみるみるうちに涙の粒が溜まっていく。
「あーっと、吉田さん何食べたいですか?」
三木が横から割って入る。空腹を思い出したのか、吉田の目から涙が引っ込んで期待の色が覗いた。
「なんでもいいの?」
「ええ、なんでも好きなものでいいですよ」
クラージィは少し不安になった。いいのかミキサン、もしヨシダサンのリクエストが作れる材料がなければ、どちらかが買いに行かなければならない。恐らくどちらが残っても一人ではこの状況に耐えられないのではないか?三木も途中で気付いたらしく、しまった、というような顔をしたが遅い。吉田が満面の笑みで「オムライス!」と叫ぶ。
三木は密室パニック映画の脱出ゲートのように冷蔵庫のドアを開けた。玉ねぎ、にんじん、鶏肉、ケチャップ、卵、冷凍ご飯。──オールクリア。二人で胸を撫で下ろす。
「じゃあ作ってる間、ゲームでもして待っててくださいね」
「うん」
まだ猫が気になるのかちらちらと高所の三匹に目をやりながらも、吉田はゲーム機を起動させてテレビの前に座り込んだ。クラージィは食器を出そうと台所に移動し、三木と目が合った。「調子狂いますね」呟く顔に、いつもの仕事上がりとは種類の違う疲労が滲んでいる。
クラージィは気付いていたが、退行した吉田が発言する度、三木の反応には若干の間がある。古い携帯型ゲームをやらせてもらったとき、画面が切り替わる度少々の間があった。吉田が「さすがにこの頃のゲームはヨミコミが遅いよね」と言っていたあれに似ている。
三木は手早く冷蔵庫から材料を取り出し、最後にビールを3缶取り出してテーブルに並べようとした。クラージィはぎょっとした。
「ミキサン!子供ニビールダメデス!」
「え?いや、体は大人だし…」言いかけてハッとして眉間にシワを寄せる。「ダメか、ダメだなうん、すみません」
「ミキサン、動揺シテマスネ…」
言われた三木は、ふ、と首を振ってクラージィの手元を指さした。
「クラさん、それでどうやってオムライス食べるんです?」
クラージィは視線を下ろした。三人分のスプーンを出したと思った手は、フォークとバターナイフとピザカッターを握っていた。
二人は顔を見合わせ、普段の吉田お得意の引きつった「んふ…」という笑いを漏らした。様々な感情の綯交ぜになった吐息であった。そう、我々は恥ずかしいくらい動揺している。吉田がちょっとオギャっただけで。
思うに、我々は普段ヨシダサンに甘えすぎているのではなかろうか?とクラージィは反省した。人生経験上での最年長である吉田に、友情や食事や居場所だけではない、精神的支柱を求めているのではないか?だからそれが崩れている今、こんなにも寄る辺なき子羊のように右往左往しているのでは?
意外であったことは、三木もどうやらそうらしいということだ。自立した大人で何でも一人でできると思われている三木は、だからこそ、吉田に出会うまで、頼れる相手がいなかったのかもしれない。そうクラージィは推測する。
目を閉じて祈る。神よ、我らは愚かで傲慢でした。これが試練であるならば、十分その意義を理解しました。なので……その……ちょっと早めに戻していただけると嬉しいのですが……
ちらと横目に吉田を見る。吉田は横スクロールのアクションに飽きたらしく、謎解き主体のオープンワールドアドベンチャーを初めから起動して一番最初のデータに上書きをしている。
ああ、それは大人のヨシダサンが先日全クリしてやりこみ要素もコンプした記録……
クラージィは再び瞑目した。背後で三木がフライパンだかボウルだかをひっくり返す派手な音が響いた。